竹とんぼ

 神爪の里は、葉隠山に守られている。その名の通り、生い茂る木々に隠された里への道はもちろん、山の中に入ればたちまち帰り道さえわからなくなる。もっともそれは外から来た人間の話で、ここで生まれ育った者にとっては、葉隠山は庭のようなものだった。
「うーん……こんなもんかな?」
 里からはだいぶ離れた山の中で、聖は岩に腰かけ首を傾げながら言った。いつものこの時間だったら、里で兄の龍也と修行をしている頃。では今日は何故こんな所にいるのか……それは簡単に言ってしまえば、単なるサボリである。
(やっぱり兄貴、怒ってるかな……)
 兄は殊更修行に関しては厳しい。正直、里の外といえばこの葉隠山にしか来たことのない聖にとって、そこまで戦いの方法を身に付けなければいけない理由がわからなかった。しかし兄があれだけ厳しいのだから、きっと大事なことなのだろう。無条件で兄を信じているから、修行を続けることも、厳しくされることにも文句はない。
 そうは思いながらも、結局聖はそのままそこを動こうとせず、先程からやっている作業を続けた。
「聖! 何してるの?」
「!?」
 突然の呼び声に慌てて振り返ると、そこには良く見知った自分の片割れ――輝がいた。
「や、やあ……輝」
 無理矢理笑顔を作って言ってみたが、それは輝にとっては逆効果だったようで、厳しい表情で詰め寄ってくる。
「“やあ”じゃない! 修行サボって何やってんの!」
 修行に厳しいのは、輝も同じだった。というより、兄を怒らせることに怒っているのかもしれない。兄に対する無条件の信頼は、双子らしく似ているから。
 「龍也兄さんも怒ってるよ!」と続ける輝に、聖は内心「やっぱりなぁ」と苦笑した。確か前にも一度こんなことがあって、その時はたっぷり搾られたっけか。
「兄貴は厳しいからなぁ……帰ったら大変だ」
 ふとその時の記憶が甦る。そういう経験があったから、聖はあの時から今まで、あまり修行をサボってはいなかった。
「で? その厳しい兄さんとの修行から逃げてまで何してたの?」
 何度目かの質問に、聖はようやく手の中のものを見せた。
「ちょっと、竹とんぼ作ってみたんだ」
 初めて作ったものだから少しばかり不格好だが、しっかり竹とんぼの形にはなっている。実は作り方さえ知らなかったため、記憶を頼りに見よう見真似で作ってみたものだ。
 それを見ると輝は、脱力したように溜息をついた。
「わざわざ里を抜け出してこんな物作ってるなんて、聖らしいと言うかなんと言うか……」
「あはは」
 その反応に聖は軽く笑ってから立ち上がり、
「まだ試してないから、ちゃんと飛ぶかわかんないけど……」
 そう言って、今出来たばかりの竹とんぼを輝に差し出した。輝は不思議そうに竹とんぼと聖の顔を交互に見る。
「え……? 何、くれるの?」
「うん」
 不思議そうな表情のまま、輝はおずおずとそれを受け取った。お礼を言った方がいいのか悩んでいる様子を見て、聖は笑いながら理由を言う。
「前にさ、俺が兄貴から貰った竹とんぼ壊しちゃったことあっただろ? だから」
「は?」
 思わず間抜けな声を出してしまう輝。それもそのはず。聖の言っている「前」というのは、かなり昔の話だ。自分達がまだとても幼い頃の話。今でこそ一緒に遊ぶなんてことは少ないが、昔はよく自分達双子と忍の三人で、色々なことをして遊んでいた。そんな時、龍也から竹とんぼを貰ったのはいつのことだったか……。確か忍が一番最初に飛ばして、次に聖が飛ばそうとした。詳しいことは覚えていないが、その間に聖が竹とんぼを壊してしまい、結局輝だけは飛ばすことが出来なかった。それで喧嘩をして、次の日には仲直りしたという、懐かしい思い出。
 そんなことを今更……と不思議に思うのは当然だが、輝はいつの間にか笑いを堪えている表情になっていた。
「そ、それでわざわざ、今になって自分で作ってたの……?」
 そんなにおかしいことを言ったか? と思いつつも、聖は至って真面目に続ける。
「それがさぁ、昨日あの時の夢を見たんだ。それで俺、輝に悪いことしたなぁと思って」
「プッ!」
 輝はとうとう吹き出してしまった。確かに昔の話だし、今更夢に見て、今更謝るのもおかしな話かもしれないが……
「何もそこまで笑わなくても……」
 いい加減恥ずかしくなってきて、聖は言った。すると輝は目に涙まで浮かべながら「ごめんごめん」と謝る。
「たださ……考えることは違っても、やっぱり双子なんだなぁって」
「へ?」
 今度は聖が間抜けな声を出す。それを見て更に笑い出した輝に、聖は少しムッとしたと同時に、ふと自分も笑いたくなった。だって、なんとなく輝の言おうとしていることがわかった気がしたから。
「私も、昨日見たんだ。竹とんぼの夢」
 それを聞いて、聖も輝と一緒になってしばらく笑っていた。

「聖~! 輝~!」
 不意に遠くから忍の声が聞こえた。
「あ、遅いから探しに来たのかな?」
「そうみたい」
 聖は声のする方に「こっち~!」と大きな声で伝える。その間輝は何かを思い出し、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「そういえば聖」
「何?」
「帰ったら、兄さんにこってり搾られるんじゃない?」
 笑顔で振り返ったはずの聖からは途端にその笑みが消え、一気に暗い空気を纏うと、
「……そう、だった」
 哀れなほどにがっくり項垂れた。

 しかし翌日、聖と輝と忍にくわえ、龍也まで交えて子供の頃のように竹とんぼで遊ぶことになると、この時の二人は知る由もない。

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